人は弱いのか?
4月に起こった変容中に気付いたことをまとめてゆきたいと思います。
これは私が気付いたことだから、みんなにあてはまるかわからないけどね。ご参考までに。
30代に入って、東京から栃木に戻った時、私は自分の弱さを受け入れた。人はなんて弱いのだろう。「人」というより「自分は」という方が正しいか。どんなにいきがって、強がって、肩パットを入れて、キャリアウーマンのふりをしてみたところで、自分の弱さは変わらなかった。否定することはできなかった。仕方がないから、受け入れた。自分は弱い人間だ、と。
そうして、私は、自分と同じように弱い人たちを助けたい、と心に誓って、セラピスト人生をスタートさせた。助けたい、というのは実際おこがましくて、自分は弱い、ゆえに、自分と同じ弱い人を理解することができる。私はその橋渡しになろう、と。人を癒してゆくことに、自分を癒してゆく姿を投影し、あなたを癒すことが、私を癒すこと、になった。
弱い人の傷を癒すことが、自分の傷を癒してゆくことになった。
これはある意味、真実だ。
目の前の人を癒す時、私の中の傷も消えてゆく、ような気がする。
私たちは、どこか遠くで、ひとつにつながっているから、
目の前の人たちを次々癒していったとき、
それはどこか深いところでつながりを見せ、自分自身のどこかも癒えた気がするのだ。
そして、実際癒えることもある。
投影が投影を呼び、見えない迷宮に入りこむような、不思議なループを作りだしてゆく。
鏡に映った自分、そしてさらに、その鏡の中の自分が鏡に映りこみ、さらにその鏡の中の鏡の中の私が、、、、。永遠に続いてゆく。
私が見るべきは、私の中にある傷だった。
目の前の人に投影される傷ではなく、自らの傷を癒すべきだったのだ。
他人に見える光ではなく、自らに光り輝く光、
その両方をとくと腹を据えて見る必要があった。
ありのままの、飾らない素の自分をまじまじと見たとき、
人は、それほどに弱いものだろうか。
と疑問がわいた。
「人」は、というよりも、「自分」は。
おまえは、そんなにも弱い存在なのか??
と問うた。
答えは、「ノー」だった。
心の奥底から
「私は弱くなんかない」「私はできない人間でない」
「私は一人前の、すばらしい大人の女性だ!」
と叫んでいる。
もうほとほとに、子供扱いを受けることに疲れ果て、
できない自分を演じることに疲れ果て、
できないふりをすることなんてできない。
弱いふりをすることなんてできない。
だって、私はもう、大人なんだもの。
私はもう、なんでも知ってるんだもの。
いつまでこのくだらない演劇を続けなくちゃいけないの???
いつになったら、本当の大人の私を顕すことができるの???
十分に成熟した、それでいて未熟な、
力強く、たくましい、そんな私でいちゃいけないの??
傷も抱えているけれど、
だけど、傷があるからこそ放てる強い光を、
ただそのまま、ありのままに見せてはいけないの??
大人たちの不安、大人たちの心配、おせっかい、干渉、
そういった、弱いふりする、できないふりする、そんな私を演じるのは、もう限界なのよぉーー!!
びっくりした。
まったく、その通りだから。
(つづく)
アロマテラピー&ヒーリング AROMAVENUS
これは私が気付いたことだから、みんなにあてはまるかわからないけどね。ご参考までに。
30代に入って、東京から栃木に戻った時、私は自分の弱さを受け入れた。人はなんて弱いのだろう。「人」というより「自分は」という方が正しいか。どんなにいきがって、強がって、肩パットを入れて、キャリアウーマンのふりをしてみたところで、自分の弱さは変わらなかった。否定することはできなかった。仕方がないから、受け入れた。自分は弱い人間だ、と。
そうして、私は、自分と同じように弱い人たちを助けたい、と心に誓って、セラピスト人生をスタートさせた。助けたい、というのは実際おこがましくて、自分は弱い、ゆえに、自分と同じ弱い人を理解することができる。私はその橋渡しになろう、と。人を癒してゆくことに、自分を癒してゆく姿を投影し、あなたを癒すことが、私を癒すこと、になった。
弱い人の傷を癒すことが、自分の傷を癒してゆくことになった。
これはある意味、真実だ。
目の前の人を癒す時、私の中の傷も消えてゆく、ような気がする。
私たちは、どこか遠くで、ひとつにつながっているから、
目の前の人たちを次々癒していったとき、
それはどこか深いところでつながりを見せ、自分自身のどこかも癒えた気がするのだ。
そして、実際癒えることもある。
投影が投影を呼び、見えない迷宮に入りこむような、不思議なループを作りだしてゆく。
鏡に映った自分、そしてさらに、その鏡の中の自分が鏡に映りこみ、さらにその鏡の中の鏡の中の私が、、、、。永遠に続いてゆく。
私が見るべきは、私の中にある傷だった。
目の前の人に投影される傷ではなく、自らの傷を癒すべきだったのだ。
他人に見える光ではなく、自らに光り輝く光、
その両方をとくと腹を据えて見る必要があった。
ありのままの、飾らない素の自分をまじまじと見たとき、
人は、それほどに弱いものだろうか。
と疑問がわいた。
「人」は、というよりも、「自分」は。
おまえは、そんなにも弱い存在なのか??
と問うた。
答えは、「ノー」だった。
心の奥底から
「私は弱くなんかない」「私はできない人間でない」
「私は一人前の、すばらしい大人の女性だ!」
と叫んでいる。
もうほとほとに、子供扱いを受けることに疲れ果て、
できない自分を演じることに疲れ果て、
できないふりをすることなんてできない。
弱いふりをすることなんてできない。
だって、私はもう、大人なんだもの。
私はもう、なんでも知ってるんだもの。
いつまでこのくだらない演劇を続けなくちゃいけないの???
いつになったら、本当の大人の私を顕すことができるの???
十分に成熟した、それでいて未熟な、
力強く、たくましい、そんな私でいちゃいけないの??
傷も抱えているけれど、
だけど、傷があるからこそ放てる強い光を、
ただそのまま、ありのままに見せてはいけないの??
大人たちの不安、大人たちの心配、おせっかい、干渉、
そういった、弱いふりする、できないふりする、そんな私を演じるのは、もう限界なのよぉーー!!
びっくりした。
まったく、その通りだから。
(つづく)
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by aromavenus | 2010-05-07 15:19 | スピリチュアルコラム