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ワタシであること

最近のヒーリングセッションは、たくさんのことを私に教えてくれます。

まず、肉体とは、すべてを包括する「あなた自身」だ。ということ。
病気も、健康も、足の痛みも、肩こりも。そしてまちがいなく、美しさも。
すべてが、先祖からのDNA、あなた自身のDNA、考え方、感情、食事、生活習慣、年齢による加齢、あらゆることがたくみにからみあった、すばらしいアート。ほんとうに(うっとり)。病気ですら、エネルギーを丁寧にほどいていくと、芸術的なまでに美しく織り上げられたアート、織物です。DNAのらせん、いくつもの線がからみあい、らせんを描くように上昇してゆくあのアート、あんな感じです。あるベースがあり、それを補おうと別のラインができ、いつのまにかそれらが新たなベースとなり、今度はそれを補おうと別のラインができ…。延々続くある意味の進化を、今度は逆行するように、ほどいて、ほどいて、封印解除をしていくわけです。




なんというか、人というのは、本当はすでに美しくシンプルに出来上がった作品なのだ、と思います。が、家系のくせや、その人個人の必要な学びと称して、いろんなホコリをたっぷりとかぶり、大きな塊となって本来の形などみじんも見えなくしてしまっているのかもしれません。大人になればなるほど、いらない装備がつきますから、カチカチの塊になり、最悪の状態では本質の自分が機能不全となり、病気があらわれるのでしょう。

私の仕事は、それらのほこりの塊をまず、トンカチでかち割って、大まかな輪郭をだし、あとは、ご本人のセルフケアや意識改革、などといった自助努力とあわせながら、本来の美しい完成品の姿を丁寧にほりだしてゆく、また、磨き上げてゆく、そのような作業になります。

みなさまの美しい姿をほりだす宝探しですから、ご病気やお辛い方を前に言うのは恐縮ですが、とても楽しい作業です。 自然界のすべての花が美しいように。人も一人一人、どなたも美しいのです。まちがいなく。それらを好き嫌いというのは人間のエゴなんでしょうね。

私の学びもいろんなことがリンクしてきているのですが。
つまり、私たちはもともとこのようにすでに完成された美しい作品なんですから、だれか他の人になろうとすることはできないんです。これは、最近、特に何度もやってくるメッセージです。

ちょっとスピリチュアルな例えをあげると、見えない存在たちとのかかわりにしても、私たちには、もともと「自分」というエネルギーをもつ神ですから、見えない存在に100%自分を明け渡すことはできないように思います。(もちろんチャネリングなどで一時的に体を貸すことがありますけど)。つまり、神である自分の人生は、私たちが責任をもち、創り上げるのであって、いくら見えない存在や、ご自身が信仰する神がすばらしく、理にかなったこと、もしくは正義を語っていたとしても、そのことで、ご自身の人生をまるごと、明け渡してしまうのは、どうかな、と。

有名なマスター、キリストの例であげると、きっとキリストは、「キリストになれ」とは言っていないように思います。たぶん、「キリストとともにあれ」だと思うんです。自分をキリストと同じ高次の自分にまで引き上げ、しっかりと自分とつながり、その上で、同じ次元である高次のキリストとともに、自分の人生(ひいてはこの世)をすばらしくするために共同作業をしよう! そういうスタンスかな、と思います。

とはいえ、いきなり、「キリストとともにあれ」はむずかしいので、初期段階として 「キリストのようにあれ」 という教えが広まったのかな、と思います。まずは、マスター・キリストという生き方、あり方をまねて、そのように自分を磨いてみよう。だけど、ある程度まできたら、きっと矛盾に気づくでしょう。あれ?自分はキリストではないや、と。 実は、私たちはどこまでいっても、私は私でしかありえず、だから 「キリストとともにある」 ことしかできないんだ、ということに気づいてゆく。

いきなり高尚な例にしてしまって恐縮ですが、成長って、たいがいこういう流れをくみますよね。学生時代、ある先輩みたいになりたくて、あこがれて、服装や髪型、口調まで真似て。でも、ある程度洗練されてくると、今度は、先輩のことをまるまる受け入れられなくなってくる。自分だったら、こうするのに、というよい自我が芽生えてきて、そのとき初めて、今度は自分が後輩にあこがれられる自分になってた、みたいな(笑)

先輩は、恋人でもあるし、親でも師でもあるし、キリストにも置き換えられる。何事も同じことですね。信仰を持つ方も、スピリチュアル好きで何かの存在にお願いする方も、ヒーラーやセラピストとの関係も、最初はひたすら祈り、すがり、サポートなしではいきてゆけない、そんな状態でおつきあいが始まると思うのですが、やがて、自分の個性や才能が磨かれてきたとき、きっとあなたは窮屈になってきます。そして、いままでと同じようにしていても、ことが進まなくなってくる。


最近感じるのは、もうみんな 「キリストとともにあれ」 の状態に多くの人が育ってきているんだと思うのです。これはもう何千年と人類が続いてるんですから、そろそろいいよね(笑)

それなのに、まだ 「キリストのようにあれ」 をやってしまっていると、本来自分だって神なのに、なんだか枠があわずにへんちくりんな違和感をおぼえはじめてしまう。自分も神だった、自分もすばらしい完成品としての存在だった、そのことに気づくこと、それがスピリチュアルでよく言われる 「覚醒」 または 「目覚め」 だと思います。

だから。
お願いだから、みんな、自分でいてね。自分とつながってね。目をそむけないでね。お茶をにごさないでね。照れないで、自分を受け入れ、つながって、大いに自分を表現してね

最近、強くそれを感じます。

それとね。スピリチュアルや天使が好きな人の中には、自分をおいても人のために、というとても純粋なスピリットの方、たくさんいらっしゃいます。それはそれでとてもステキなことです。だけど、そういう人たちにも、「自分」 というエネルギー(ハイヤーセルフ、またはよいエゴ)がある、ということを受け入れてほしい。自分を認めた上での奉仕でないと、これからは受け入れられなくなると思う。 自分自身であること、自分を表現することは、実は最高の奉仕だから。 「滅私奉公」という言葉は、もう古い概念になりつつあるのかなと思う。 だけど滅私をしてでもそれをやりたい! という強い意志を、本来の自分(ハイヤーセルフ)が受け入れて、その責任もそれがどういうことかもよーーくわかった上で、すべてを受け入れて滅私をしたい、と本人が望むなら、それもまた1つの立派な生き方になってくる。マザーテレサはきっとそういう人だったよね。ハイヤーセルフとよく相談して、奉仕してね。きっと最初は戸惑いながらだと思うけど。私もそうですしね^^

どうしてこういうことを書くか、というと、遠隔ヒーリングではスピリットレベルの調整もするんだけれど、あまりにも天使な人は、エネルギーを受け取ることを遠慮して、逆に送られたエネルギーをなぜか私に送り返してくれる人もいるの。うーん。ま、それでもいいんだけど。
スピリットはとても正直だから、いつも人に遠慮して自分は受け取らない、って決心していたりすると、いろんなものを受け取れなかったり、「受け取る」という器(たとえば野球のミットみたいなもの)を持たずにいると、受け取りたくても受け取るツールがない、ということになったりする。びっくり(笑)  だから、小さなことから自分の「思い」を変えて、受け取る練習をして、ミットを作っていく必要がでてくるんですよね。まさに「自分クリエイト」!

こんな風に、自分に必要だったり足りない触手は新しく作りつつ、もういらなくなった触手は取り去りつつ、自分という人間&肉体を、「今」という時代に合うように、常時創り変えてゆくことが大切みたいです。けっこう楽しい作業じゃないかな? 特に今年2008年は、何かの始まりであり、そして完結の年、といわれているから、そういう枠の作り替えがいろんな人にいろんなレベルで起きていると思います。この作り替えの時期のお手伝いは、たぶん私は得意だと思うので、サポートできることも多いと思います。

そして、偏った意識&肉体でなく、いかにバランスよく洗練された人間(中身も含む)&肉体(エネルギー体=オーラも含む)を創っていくか、というのが、人間をやっている1つの醍醐味でもあるようですね(笑) だから、私も楽しいからといって、あんまりお客様の知恵の輪をほどきすぎないように、気をつけなければならないのです(笑) 1975年以降に生まれた「インディゴ」や「クリスタルチルドレン」といったスターピープルな人種は、けっこうカッコイイ装備を身に着けてきているので、この世で生きていくにはパワーバランスが悪かったりします。 肉体もクセがあったり。だから、バランスコミュニケーション肉体のケアは、もしかしたら、課題の人、多いかもしれません。インディゴクリスタルソウル 先人の私もその一人なので、一緒に学んでいきましょう。

長くなりましたが、最後に。
自分とつながるのは、簡単です。
「私は、自分(ハイヤーセルフ)とつながる」 ただそう強く思ってください。信じてください。
細かいやり方は、今後そういったクラスも開いてゆくことにしましょう。
まずは、自分でありましょう。それがイチバン大事☆058.gif

by aromavenus | 2008-07-11 09:17 | スピリチュアルコラム